灰色思考

創作、脳内整理、感情の書き殴り、その他

祖母の老衰に思う、生死観

*自分の体験談を踏まえた殴り書きです。

 


 

 以前から少しずつ悪化していた祖母の認知症夢遊病が最近かなりひどくなってきた。毎晩何度もむくりと起きてきては、家中徘徊を繰り返している。

「今から埼玉に帰らないといけない」
「祖父のお客さんが来るから、車を貸してほしい」
「(妹に向けて)結婚するんだってね、良かったね」

 こんな感じの妄言もとても多くなった。埼玉の祖母の実家は、売ってしまってもう無い。祖父も10年近く前、既に他界している。妹はまだ16歳だし、彼氏もいない。
 今、リビングに敷いた万年床の布団の中で俺がこれを書いている最中も、祖母はゆっくりとしたすり足で家の中をうろうろしている。深夜2時40分を回ったところだが、どうも眠れそうにない。だからこれを書く。

 さて、「"意識"と"身体"は別にあるのか」という哲学的(?)な問いに対して、「脳が物事の全てを考えているのだから、脳機能こそが意識の正体である」と主張する者と、「意識とはもっと別次元の霊的な存在で、それがこの世という次元に顕現しているのである」と主張する者の、大まかな二つの派閥があるように思う。
 祖母の老衰の様子を目の当たりにしていると、これこそがまさにこの問いに対する現実的な答えなのでは無いか、という考えに駆られる。要するに、俺たちの中に自由意志や意識なんてものは存在していなくて、脳機能が全ての行動や選択を決めているだけなのではないかということだ。
 そして、その脳が侵されてしまえば、人はもう人では無くて、幽鬼のようにさまよう奇妙な生物に成り下がる。意識というものは、結局のところやはり脳機能の一部でしかないのだろうなと思ってしまう。

 身体は身体というもので完結していて、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。

 俺たち人間が、神とか、天国とか、存在の可能性を証明できないようなものに心惹かれるのは、この冷たくて無機質で、逃れられない真実からなるべく目を背けたいからなのではないだろうか。

「人生全ては、とても長いバーチャルシミュレーションである可能性が高い」

とか

「医学的に死後の世界は存在すると、医師が論証した」

みたいな内容を盛り込んだ動画やネット記事に、人々が興味を惹かれることは、その証明かもしれない。

 人間が老いて、頭が弱くなってゆっくり死んでいく様子を目の当たりにすると、やはり所詮俺たちは、名状し難い自然科学の法則の一部にしか過ぎないのだろうなと、少しだけ残念に感じる。
 感情的には、「人生に意味はない」みたいな言葉で表される虚無感を覚えたというよりも、どちらかというと、何となくわかっていた事実を突きつけられて「あーあ、そうですか。そりゃそうですよね」という思いが湧き起こった感じだ。

 

 死んだらそれまで。
 どこにでもあるような、無数の原子のかけらとなって宇宙の一部に還る。
 それだけなのだろう。